2005年

ーーー7/5ーーー 無謀な川下り

 カラ梅雨から一転して、ここ数日激しい雨が続いている。娘を駅に送る道すがら渡る橋の下の川は、普段は広い河原の低い所をぬって水がさらさらと流れている風景だが、先日まとまった雨が降った後は、両岸の土手に挟まれた川幅いっぱいに、押し合うようにして濁流が流れていた。

 その光景を見て、自分が二十歳半ばに経験した恐ろしい出来事を思い出した。

 私はその当時会社勤めをしていたが、大学山岳部のOBのS氏から誘われて、二人乗りのカヌーで阿武隈川を下ることになった。それ以前にも何度か、その先輩が所有するカヌーで、リバークルーズなる川下りの遊びをやっていた。しかし、阿武隈川での出来事は、それまでの川下りとは全く違う様相を呈していた。

 そのときの出来事を、記録文的回想の形で述べてみよう。

 ×月×日××時 S先輩と上野駅で落ち合い、東北本線に乗車。数日前からの集中豪雨で、車窓から見える河川はいずれも濁流である。何故このような天気なのに出かけるのかと、暗澹たる気分。しかしこれも、現地で状況を見届けた上の判断しか受け付けないという、山岳部の伝統がなせる技か。

××時 郡山で下車。折り畳み式カヌーをタクシーに積んで、阿武隈川の河川敷を目指す。運転手に聞くと、「川は近年希にみる増水」とのこと。

××時 河川敷に到着。川は、巾100メートルはあろうかという濁流で、息を飲む光景である。暫く流れを見ながら、どうしようかと相談する。止めようという言葉を口にするのが臆病者の証しであるかのような山岳部員の性が出る。「せっかく来たんだから、少しやってみよう」との結論になる。

××時 カヌーを組み立て、濁流渦巻く中に漕ぎ出す。常識では考えられない光景である。雨は止んでいるが、曇天。

××時 危険を考え、岸近くを進む。当初感じた恐怖感は、30分もするうちに緩和された。激流の勢いに乗ってスピーディーに下る。「これは却って都合が良い」などと、剛胆な発言も出る。

××時 とある橋のたもとで上陸。カヌーを岸に引き上げ、テントを張って泊り場とする。 

×月×日××時 天気は昨日より良くなった。空が明るく、青空も見えそうな気配。目の前の濁流は昨日と同じだが、昨日の行程で自信を付けた我々には、狂ったような流れがむしろ頼もしい。

××時 順調に下る。S先輩が「この先に両岸が狭くなっている所があり、流れが急になるらしい」と、ガイドブックで仕入れた情報を口にする。

××時 前方が谷間の様相となる。水面に、それまでとは違う三角形の波が無数に立っているのが見える。「あそこだ!」と先輩が叫ぶ。近付いてみると、小さく見えた三角形の波は、高さが1メートルを超えるものだった。水面に近いカヌーからは、視界を遮る大きさである。いくらなんでもこれはヤバイ。戦慄が全身を走る。しかし、いよいよ速度を増した流れから、もはや逃れる術は無い。

「突っ込むぞ、気をつけろ!」のかけ声と共に、大波地帯に突入した。そして最初の波にぶつかって、あえなく転覆。乗員二名は濁流の中に投げ出された。

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 出発の前日、私は会社の帰りにスポーツショップに立ち寄って、ライフジャケット(救命胴衣)を購入した。それまでカヌーの川下りでは、ヘルメットは着けていたが、ライフジャケットは使っていなかった。それが何故その夕方に、買う気になったのか分からない。店員は、店頭のものは品切れだが、奥に別のものがまだ有ったかもしれないと、探してくれた。私は、無ければそれでもいいと考えていた。店員は一つ見つかったと言って持って来た。私は特に幸運とも思わなかったが、店員の親切な対応に感じ、それを購入して帰った。

 もしあの店員がものぐさな男で、在庫を探そうとしなかったなら、私の命は間違い無くあの日の阿武隈川で終わっていただろう。

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 転覆したら舟から離れてはいけないというのが、鉄則である。しかし、それも言わずもがなの修羅場であった。水面下には複雑な渦が巻いている。ライフジャケットを着けているにもかかわらず、流れの底に向けて引きずり込まれる。浮力のあるカヌーの艇体とパドルにしがみつくのだが、それでも水中に引き込まれる。ズボッと水の中に沈められ、目の前が茶色一色になる。ゴボゴボと泡が立つ。もちろん足はつかない。必死で浮かび上がると、また引き込まれる。そんなことを繰り返し、息継ぎでむせ返るたびに、腹の中に泥水を飲み込んだ。その時の様子を後になってS先輩は、「大竹の白いヘルメットが、水面に見えたり隠れたりしていた」と述べた。

 ときおり大きな渦がある。そこにはまると、カヌー自体が垂直に立ち、流れの中にスゥッと沈んで行く。このときは絶望的な気持ちになった。それでも寸刻の後にカヌーはまたプカリと浮かび上がった。

 極度の混乱状態は、何分くらい続いただろうか。やがて流れは少し安定してきた。最もヤバイ所を過ぎたのだろう。カヌーにしがみついたままの二人は、岸にたどり着く努力を始めた。それでも流れの勢いは人の力を撥ねのける。半分水没したカヌーを押したり引いたりしながら、足と手で水をかいて岸を目指すのだが、全く思うとおりにならない。流れの中央から抜け出せないのである。川の曲り具合などによって、岸が間近になるところがある。「こんどはあそこだ」、「つぎは向こうだ」などと、励ましあいながら、渾身の力を込めてカヌーを押すが、いずれの上陸目標地点もあっという間に後方へ去る。

 「このまま大平洋まで行ってしまうのか」という不安が頭をかすめた。見上げると、岸のはるか上の斜面に立つ家の主婦が、洗濯物を干しながら不思議そうな顔をして見下ろしている。上の自動車道から見下ろしている人もいる。「警察に通報でもされたら厄介だな」などと、妙に冷静な考えが浮かぶ。

 30分くらいだろうか、岸へ向かっての重労働、生還へ向けての徒労を繰り返した。そしてついに、残った最後の力を込めて流れを横切り、洲のように出ている岸に引っ掛かった。二人はカヌーを岩だらけの岸に引き上げた。そして地面に両手をついたまま、犬のような格好をして、暫くの間一言も喋れなかった。疲労困ぱいしていたのである。私の腹は、大量に飲んだ水で重かった。

 1時間ほどして、少し元気を回復した。私はこれでリバークルーズは中止、カヌーをたたんで帰路に着くものと思っていた。ところが無謀な先輩S氏の口から出た言葉は「この先は特にヤバイところも無いようだから、続けようか」であった。私は「そんなバカな」と思った。しかしまたしても、「止めましょう」を口にして臆病者に成り下がるのを恐れる山岳部員の性から、首を縦に振るしかなかった。

 かくして再び恐怖の流れに漕ぎ出すこととなった。カヌーを裏返して水を出し、水際に浮かべる。二人はそれぞれの座席に乗り込む。そしてパドルで岸を突いた。

 ところがいくら力を入れて岸を押してもカヌーは進まない。ここに至って、S氏はこう言った。「カヌーが前に進もうとしない。これは神様が我々に、もうこの先へは行くなと命じているのに違い無い」。それに対して私は、神妙な面持ちで「その通りだと思います」と述べた。二人はカヌーを降りた。ようやく本物の安堵感が沸き起こった。調べてみると、カヌーが前に進まなかったのは、底に岩角が引っ掛かっていたためだった。

 かくして狂気の冒険ごっこは幕となった。二人はカヌーを分解し、斜面をよじ登って車道へ出た。そして路線バスを待って、最寄りの駅に向かった。列車が来るまでの間に、駅前の食堂で焼肉を食べたことを思い出す。

 余談だが、無謀な先輩S氏は、その後民間の研究所を経て、理系大学の教授となった。 
 


ーーー7/12ーーー 成型合板の装置

 この写真のなんだか大仰な代物は何であろうか。答は曲面状の合板を作る道具である。

 クッション座の椅子(→参考)を作るときに、これが必要となる。私は、クッション座を曲面にしている。平面でも問題ないという人もいるが、おしりは丸いのだから、座面は凹の曲面になっていた方が座りが良いだろう。また、見た目にも美しい。

 クッション材そのものは軟らかい物だから、クッションを曲面にしようとするならば、下地板を曲面にしなければならない。その下地板を作る際に、この道具を使うのである。

 やり方は、薄めの合板(市販品)を所定の大きさに切り、全面に接着剤を塗布する。それらを重ねて張り合わせ、凸と凹の押し型の間に挟んで圧着するのである。いわゆる成型合板の技術である。私の場合は、4ミリの合板を3枚重ねて一枚の曲面合板を作っている。その凸と凹の押し型が、この写真の道具である。

 張り合わせには接着剤を大量に使うので、ホルマリンを含まないタイプを使うというのも、ユーザーに対する一つの配慮である。

 圧着には大きな力が必要となる。こういう作業を専門にやっている業者は、鋼鉄製の大きなプレス機を使う。私はそのような設備を持っていないので、写真にあるように、ダブルクランプという締め具を6ケかませて締め付ける。手で押した感触では、とても曲りそうもない3枚重ねの合板も、クランプの力を借りると簡単に曲り、ぴたりとくっ付く。

 接着剤で着けてあるとはいえ、無理に曲げているものだから、そのうちバインとはじけて元の平面に戻ってしまうのではないか。当初はそんな心配もしたが、現在までそのようなトラブルは発生していない。



ーーー7/19ーーー 町内のソフト大会

 地域のソフトボール大会に参加した。10ケの町内会(ここでは常会と呼ぶ)が半日かけて競い合う、年に一度の行事である。入賞チームにはビールなどの賞品が出る。娯楽の少なかった昔と違って、現代ではこのようなイベントは必要ないとの意見もある。しかし今年も例年どおり開催された。

 私は元来野球系の競技には関心が薄い。プロ野球も高校野球も見ない。そんな状況であるから、この常会対抗ソフトボール大会にも興味が無かった。だから、今まではパスすることが多かった。しかし今年は役員をやっているので、やむなく参加した。

 この地域は壮年ソフトが盛んである。その選手たちが出て来るので、親睦のための大会といってもけっこう真剣である。しょせん私のように、経験もなく、年もいってる者の出る幕は無い。応援だけのつもりで参加した。しかしキャプテンが全員出場にこだわったので、少しだけ出させてもらった。

 試合が終わると、集会場に場所を移して慰労会となる。これもいつもの通りである。ビールを飲みながら、今日の試合の話に花が咲く。

 さて、今回改めて感じたのだが、ソフトボールというものは、地域のレクリェーションとしてかなり適しているように思う。まず、運動強度が小さいから、子供から年配者までが、同じ場でできる。特別な施設や用具も要らない。それでいて、訓練された技を発揮するダイナミックな面も有る。

 また、チームプレーと個人技のバランスが絶妙である。勝てばチーム全体で喜ぶが、その中でのまずい個人技は、酒席で格好の話題を提供する。試合中に敵味方が冗談や軽口を叩き合って楽しむのも、この競技特有の進行ペースによるものだろう。

 既に述べたように、私は野球系の競技にほとんど関心が無い。野球を国民的スポーツとして位置づける論調に多少の抵抗も感じてきた。しかし、野球やソフトが地域社会で果たして来た役割は大きいように思う。中高年の健康維持につながるし、若者は礼儀正しさや協調性を身に付ける。地域に於けるそのような浸透が、競技の性格に由来するものだとしたら、やはり野球はこの国の風土に合っているのだろう。

 小中学校のグランドなどを使い、夜間照明に照らされて展開する壮年ソフトの活動は、この地域の夏の風物詩となっている。昼間の仕事を終えて、夜は仲間と共にスポーツにいそしむ。赤ちょうちんや雀荘通いに明け暮れる都会のサラリーマンと比べると、おそろしく健全な生活ではある。



ーーー7/26ーーー ブルーベリーとドングリ

 自宅の庭に、一本だけだがブルーベリーの樹がある。それが今年も実を付けた。鈴なりの実が日を追うごとに順番に、大きさを変え、色を変える。熟した実を摘んで口に入れると、甘酸っぱさが口の中に広がった。

 自宅に果実の樹があり、その枝から直に実を取り食することができるというのは、たとえブルーベリーのような小粒でも、楽しいものである。肥料も農薬も使っていないというところが、なおのこと楽しい。また、一年のうちこの時期だけに限定されるというのが、当たり前のことだが、自然の恵みを感じて楽しい






 隣地の林のクヌギの樹を見ると、枝にちいさな粒が付いている。何だろうと思って手に取って調べたら、ドングリの幼い形であった。秋の成熟したドングリは、オムツのようなものをはいている。今の時期のドングリは、そのオムツにすっぽりと包まれている。そして尖った頭の先端だけがオムツから顔を出している。指で強引にオムツを破ると、中にドングリの実の小さな球体が入っていた。

 暑い昼下がり、仕事の手を休めて自宅の回りをうろつくと、いろいろあって面白い。




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